代表の心
信念
ペースを創る
私たちはいつの間にか、生きる速度を決められていく。
学んだり楽しんだり、人それぞれの理解や深さは様々なのに。
誰だって子どもの頃は天真爛漫。
家族や地域はそれらを宝物のように、一つひとつ心を込めて見守る。
原石にはどれひとつとして、同じものはない。
いつの日か原石たちはひとつに集められ、砂利と呼ばれたり石組みと呼ばれたり。
ひとつでいる意味を失っていく。
やがて一つひとつ欠けていくが、その時はすでに、それぞれの意味を失っている。
生きる尊厳は、一つひとつの個性や違いにあるはずだ。
そして誰もが、生きる速度も寿命も違う。
だからこそ一つひとつの生き方、そしてそのスピードにあった、
ペースを創ることを大切にしていきたい。
生まれた時から死ぬま時で、ひとつとして同じ石ころはない。
代表プロフィール
専修大学法学部卒業後に第一勧業銀行入行。
改正介護保険法成立の最中、地元総合病院の融資担当として向き合ったその大きな法改正に、
介護医療体制の変革を為し遂げる難しさを実感、
その問題意識と使命感で「株式会社在宅支援総合ケアーサービス」を立ち上げる。
「病院で死ねない時代」は、逆に言えば最期の過ごし方を選べる時代。
学校や社会で横並びが求められる日々に、
幼少期をロサンゼルスで過ごし、帰国した彼はずっと大きな疑念を抱いていた。
「なぜ自分のペースで、生きられないのか?」「なぜ障がいを持つ者は別扱いなのか?」
「なぜ就職すると地域から引き剥がされ、地元に帰ることがままならないのか?」
ならばなおさらのこと、最期は手厚く愛され、認められ、尊ばれ、終えて欲しい。
地域と共生しながら、最高峰の在宅サービスをワンストップで実現する。
その信念は今、保育、教育、就労支援といった、世代を超えた総合サービスへと発展しつつある。
「マイペース マイリージョン マイホーム」
テクノロジーが進化し、多くの個性が認められつつある現代、
人は家で生まれ、地域で育てられ、地域に貢献し、最期は家に帰る。
そんな生き方だって可能なはずだし、尊い生き方の一つではないか。
何かに生かされるのではなく、自らの力で生き、貢献し、地域社会を創る一員になる。
その生涯をフルサポートし、「一人ひとりの生き方で地域を創る」が、
彼の使命であり、大きなビジョンなのだ。
学歴
- 昭和57年
- 6月
- 米国ロサンゼルス K・L・Carver School 第2学年終了
- 昭和57年
- 9月
- 目黒区立東山小学校 第2学年編入
- 昭和58年
- 9月
- 目黒区立東山小学校 第3学年編入
- 昭和62年
- 3月
- 葛飾区立末広小学校 卒業
- 昭和62年
- 4月
- 葛飾区立新宿中学校 入学
- 平成02年
- 3月
- 葛飾区立新宿中学校 卒業
- 平成02年
- 4月
- 帝京高等学校 入学
- 平成05年
- 3月
- 帝京高等学校 卒業
- 平成06年
- 4月
- 専修大学 法学部法律学科 入学
- 平成10年
- 3月
- 専修大学 法学部法律学科 卒業
職歴
- 平成10年
- 4月
- 第一勧業銀行 入社
(入社3年後、富士銀行・日本興業銀行と合併) - 平成21年
- 10月
- みずほ銀行 退社
- 平成21年
- 11月
- 社会福祉法人双樹会 双樹苑 入社
(特別養護老人ホームで、人事・総務・経理業務に従事) - 平成23年
- 9月
- 社会福祉法人双樹会 双樹苑 退社
- 平成23年
- 10月
- 株式会社在宅支援総合ケアーサービス 設立 代表取締役就任
現在に至る
HISTORY
一人ひとりの生き方で社会を創る
EPISODE .01
マイペース
愛をもらうのではなく愛を与える
1歳半の時、腸重積という大病にかかり、手術が失敗した。成功の可能性が殆ど無い再手術を拒む医師を、両親は必死で説得した。母にはよく「2回目で成功したんだよ」と言い聞かせられて育った記憶がある。
幼少期から4歳から8歳まで父親の仕事の関係で、ロサンジェルスで過ごすが、元々敬虔なクリスチャンだった母は、私が救われたのは神様のおかげと信じ、私を連れ、よく教会に通った。
私の人生の核になっているもの ― それは、「愛をもらうのではなく愛を与える」ということを、背中で見せ続けた、母の無償の愛だと思っている。
マイペース
小学校3年生の時、日本に帰国。日本語があまりうまく話せない私は、いじめを受けた。また九九に苦労した時も、土日に不合格者全員が集められる等、厳格な集団行動にも大いに困惑した。そんな違和感から引っ込み思案な性格となるが、体格が大きくなる中学頃には大らかになり、マイペースに過ごし始める。印象的な成功体験は習得が難しいオーボエの演奏。慌てない、焦らない性格が功を奏した。
その後、大学で法律を学んだ私は、その知識が活かせることを期待し銀行に就職。バブル後の業界再編の中、派閥闘争に明け暮れる社内でも、お客さまの為に成すべき事を成す。淡々とマイペースを貫いた。
人は誰でも幸せになる権利がある
民間総合病院の融資担当時代、社会保障費をいかに削るかという国の大きな課題に直面する。膨らみ続ける医療費問題を解決するために、骨折して入院しても2週間から1ヶ月以内で返されるおじいちゃん、おばあちゃん。そうしなければ、逆に病院が赤字になる仕組みになってしまう法改定の実態を見た。
システムに強制的に縛られ、生きることを否定される社会。本当にこれで人間は幸せなのだろうか、幸せになる権利はあるのだろうか、と疑問を持つようになる。このような状況に直面し、この社会課題を解決するために自分も力にならなければならないと感じていく。
EPISODE .02
ペースを創る
介護保険法の真意
今後明らかに、病院が高齢者を受け入れにくくなる中で、国が最後に補助するのは在宅サービスのみ。このことを知り、将来在宅サービスの運営を、ぼんやりと考えるようになっていく。家で死ねる時代は良いことではあるが、在宅サービスだけでは医師や看護師が介在できない。この状況は、「安らかに家で死ぬこと」とは程遠い。
医者でないとできない病院や医療法人ではなく、自分にもできる医療サービスは何か。その答えが、「訪問看護ステーション」だったのだ。
ペースを創る
アメリカには特別支援学校などなく、たとえ障がいを持っていようが、一緒に遊んだり、生活したりできる環境が自然にあった。一方日本では、皆が一律を求められ、障がいを持つ生徒は一緒に授業を受けられない。違うペースを互いに認め合う機会もなく、別々にされたまま、同じパフォーマンス、同じスピードを求められる。これは社会に出てからも変わらない。
「自分は違っても大丈夫」という安心感のない人生は、じわじわと不幸への道を進むかのようだ。本来、社会に人が合わせるのではなく、一人ひとりの個性が社会を創るべきだ。「ペースを創る」。それが私の強い信念となった。
在宅支援総合ケアーサービス設立
人がそれぞれのペースで生きる社会を創りたい。そう強く感じた私は、このままサラリーマンを続けていても未来が描けないことに悩み始めた。
自分の信念を貫くために、残された道は独立しかなかった。30代後半の頃、創業の思いを募らせていた在宅サービスの実現に向けて退職を決意。県内の病院事務長を経て、平成23年8月に、知り合いの看護師に声をかけ、在宅支援総合ケアーサービスを設立。訪問看護ステーションの営業を開始した。
EPISODE .03
生き方を創る
生かされるのではなく生きる
生きるよろこびを一身に纏ってきた私たちは、生まれてから死ぬまで、学校、結婚、子育て、老化などを経験していく。しかし、その全ての通過点において、社会の根底にある仕組みのようなものに従うことを、余儀なくされている。故に私たちは、愛着を覚えた地域や地域の人から引き離されていく。
衝撃的な数字がある。65.7%。これは平成19年版国民生活白書の調査で、隣近所のつきあいから生まれるつながりの状況について、「生活面で協力し合う人」が「0人」と回答した割合だ。今こそ私たちは、一人ひとりの個性と力で、地域と連携し、社会を創るべきだ。人は「生かされるのではなく生きる」べきなのだ。
生き方を創る
私たちは、生まれてから死ぬまで、学校、結婚、子育て、老化などを経験していく。しかし、その全ての通過点において、システムの様なものに従うことを余儀なくされている。その全ての通過点において、何も考えず、流されるべきではない。その環境やペースで、本当に自分が幸せなのか?を問う必要がある。
「生き方を創る」これは私たちの事業ミッションでもある。今こそ自分たち一人ひとりの人生と在り方を、真剣に追求すべき時なのだ。
出馬
認知症となった自分の親を隣人に見せたくない。そう考える息子さんや娘さんを見てきた。「社会に迷惑かけたくない」と感じているのだろう。とんでもないことだ。
認知症は、千葉市の人口の約5%、障害者手帳を持つ方も約5%。つまり約一割もの方々が、何らかのサポートが必要である状況を考えるほどに、このままではいけないという強い危機感と問題意識を持った私は、2019年、千葉市議に出馬した。病気や障害を「異質のもの」と捉えるあまりに肩身を狭くしている人を減らし、寛容に受け入れることができるような社会を創りたかったからだ。
EPISODE .04
一人ひとりの生き方で社会を創る
マイペースマイリージョンマイホーム
社会に生き方を合わせるのではなく、一人ひとりの生き方が社会を創る。そのビジョン実現するために、一人ひとりの人生の通過点や過程に関わっていく。
真の共生社会実現のため、医療・介護・保育・障害福祉・教育分野 で連携し、人類一人ひとりの、人生の舞台を地域から整えていく。それこそが私たちの使命と考える。
「マイペース マイリージョン マイホーム」
一人でも多くの方々が、家を大切にし、地域と連携し、自分自身のペースで社会に貢献し、活き活きと人生を全うすることを願ってやまない。